うみげん[中村海人×松田元太]っていいよね

うみげんって良くない?

 

 

私は 中村くんと元太くんの顔がTravis Japanの中でダントツ好きだし、グループの中でも自担は元太くんだけど、中村くんのフォトセも迷わず買うみたいなスタンスだ。

 

 

最初は、

「2人とも顔が好きだから、2人が絡んでると一石二鳥⤴︎⤴︎⤴︎イエイ⤴︎⤴︎⤴︎」

的なノリだったが、段々と

 

うみげんという概念が最高だな…

 

と思うようになってきた。

 

なぜ、「うみげん」に惹かれるようになったんだろうと思ったので、この記事を書いて整理したいと思った。

 

 

⚠︎テキストとか引っ張り出すのが大変な作業だし、めんどくさかったので、完全に個人的な視点からみたうみげんの良さです

 

◎中村くんが唯一 年上になる

松松が加入するまでは、最年少組だった中村くん。

松松が入ってから、元太くんが最年少になり、中村くんにとって グループ内で初めて年下が出来た。

Jr.チャンネルでも、よくみられる。

 

中村くんが元太を陥れるが最終的には引っ張っていったり

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Travis Japan 【閲覧注意】怖すぎるお化け屋敷…廃ベッドに拘束]

https://youtu.be/oJGbh8HR7TE

 

暴れる元太くんを抱きしめて止めたりする。

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Travis Japan 【プロ直伝】100均でハロウィンメイクに挑戦!]

https://youtu.be/AFfNYo1Aim8

 

ハロウィンメイクに関しては、開始1分も経っていないのに、宮近くんが一生懸命説明してくれているのに、恐らく元太くんがふざけて 中村くんが思いっきり元太くんを叩くという、うみげん好きにとってのHappy Groovyが行われているので最高だ。

 

 

お化け屋敷回については、うみげんでネグルシを体験させた宮近最高宮近ワッショイ!と宮近最高音頭を踊って、宮近くんを讃えたい。

 

 

 

◎元太が中村くんのこと年上だと思ってない

雑誌のインタビューで、中村くんのことを

「一緒にふざける相手」と答えてるし、元々年上に対しても年上という概念が頭にないのかガンガン絡んでくことで有名な元太くん。

(前はしっかり人見知りだった)

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年上だと思ってないっていうか、友達みたいな感覚というか…。

そこが元太くんの良いところでもある!

 

 

◎ガキんちょ達

Travis Japanはよく「Travis 幼稚園 Japan」と呼ばれる。うみげんは、幼稚園というコミュニティの中でも、ガキんちょトップスリーに入ってしまうような立場ではないかなと思う。

 

個人でも 勇気あるふざけ方を平気でするし
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2人集まると、元太の勢いが凄くて中村くんがやられていることが多い。
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元太くんの無邪気さも、中村くんのふざけるけど実は気弱な感じがいい感じに中和されて、見てると微笑ましいし、お兄ちゃんと弟を見てる気がする。基本的に、のえママもうみげんのふざけにはノータッチだし、怪我をする喧嘩もしてないので、微笑ましいなという視点で見守っているのかなと思う。

 

 

◎お洒落

2人とも、古着が好きだし本当にお洒落だ。

でも、元太くんはモード系で、中村くんは渋谷いるイケメン感が強い服を着ているなと思う。

 

2人とも、「古着が好き」という共通点があるが、絶対に服の好みは合わないだろうし、仮に2人が服を交換してきたとしても、似合わないと思う。

 

でも、多分中村くんが元太くんに影響された?と思われるのが、ジェラピケのパジャマを私服で着るという技だ。

 

元太くんは、寝るときも着ているジェラピケの服で稲毛海岸でゴミ拾いしたり、ハロウィンメイクをしたりしている。

配信された時は、特定された時に「元太くんが着てたのパジャマなの?!?」という衝撃だった。

 

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その後の動画では、なんと中村くんが動画でジェラピケの服を着ていた。

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どっからどうみても、完全にパジャマだった。

しかも、足元と胸元に大きく「GERATE PIQUE」と入っている。

「違うよwwwwwwww」という衝撃が走った。

国民的ヒモと呼び過ぎて、ついに骨の髄までヒモ精神になってしまった結果かもしれないと思ったりしたが、やっぱりどうみてもパジャマだった。

しかも結構お気に入りなのか、色んな動画で着用している。

 

中村くんSo cute(^_−)−♡

 

◎2人の種類の違う人懐っこさ

元太くんは、どんどん仲良くなりたい人にはガンガン絡んでいく圧倒的なライトな陽キャ

 

それに対して、中村くんは仲良くなりたい人には絡んでいくというより、アピールをガンガンしていく陽キャ

 

種類は違うけど、仲良くなりたい人にはわかりやすい対応をするから、2人が仲良くなりやすいのだと思う。

 

中村くんは、よく好きな人や興味がある人を見つめる癖があるので、うみげん視線(中村くん→元太)が大量発生している時もある。

 

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Travis Japan 【エセ芸術家ゲーム】お題を知らずに描いているのは誰?]

 

https://youtu.be/EQiyecjdBxo

 

 

 

でも、中村くんから 元太くんにハグしていくとか、愛情表現が行われることは少ないので「友人」として好きなんだと思う。

顕嵐くん、宮近くんをはじめとする人たちにはデレデレが止まっていないし…と思うが、顕嵐くんにもしていたキスをせがむという大事件が起きているので、時間の問題だと思う。

 

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◎身長

 

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中村くんは身長が173センチで、シズヤと同じでトラジャの中だと1番高い。

元太くんは169センチでトラジャの中だと4番目で中間になる。

 

 

4センチ差って同じようで同じじゃないもどかしい差だ。

身近な物だと、一円玉2枚分くらい。   

 

まつくと中村くんの身長の差は9センチで、ルンバの高さくらい差がある。

 

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トリプルカイト、松松で撮影することが多いうみげんがうみげんで並ぶと、身長は変わっていないのにいつもと違うレアな景色を見ているような新鮮な気分になる。

 

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◎まつく 

2人の強烈な共通点といえば、まつくの存在だと思う。

 

担任、血液型、名前、入所日、名前などあらゆる点で共通点をもち、同級生3人が同じグループで活動するという漫画のようなコンビ『トリプルカイト』

 

青春の全てをジャニーズに捧げ共に切磋琢磨し、運命共同体の『松松』

 

まつくにとっては、元太くんも中村くんも人生において最高の存在だと思う。

 

トリプルカイトには、トリプルカイトにしか分からない空気、ツボがあって、3人だけ笑っている空間が存在する。

 

松松には、松松にしか分からない空気、ツボがあって、松松だけが笑ってたり 分かってたり ふざけあったりする空間が存在する。

 

 

中村くんにとって、まつくは親友だし

元太くんにとって、まつくは最高のシンメだと発言している。

 

 

まつくが2人の前で同じかというと、そうでもないし、まつくにとって別の居心地の良さがあるんだなと感じる。

 

うみげんが、それぞれまつくにとって大切な存在であることも、うみげんも別の大切な意味合いをもつ存在であることを何となくわかっていそうな感じもうみげんっていいなと思う。

 

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◎肌

元太くんは、本当にお肌が白い。

透明感ある白さというか、触れる白!!!って感じの白さ。

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中村くんは、野球少年だったのはわかるって感じの日焼け済ですって感じの黒さをもつ肌。

 

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この肌の対照が、私は2人のお顔が好きだけど、2人とも違うタイプのイケメンなんだなと思わせられる。

 

元太くんはハンサム、中村くんはイケメンって感じの言葉が近いかなと思う。

 

◎松松を加入させた中村くん

 

松松をTravis Japanに加入させようと言い出したのは中村くんだ。

 

シャワーを浴びてる時に思いついたってところが、シャワー浴びてれば私も革命起こせるんじゃないかと錯乱してしまうくらい、ナイス閃きー!!!と叫びたくなる。

 

脱退が積み重なり、しんどいという言葉では表現できないほど辛い時期だったと思うし、月山その時信じられないほど細くて顔が小さかった時に「松松を加入させる」という閃きをした中村くんに本当に 惹かれた。

 

うみげんというより、松松と中村くんのエピソードだが、この事はお互いの人生にとっても大きい事だと思う。

 

 

うみげん って、本当にふざけ仲間って感じで、見てて楽しい。

 

元太くん→中村くん

『内容がないことでも一緒にふざけられる人。

   なんでも乗ってくれる。』

 

 

中村くん→元太くん

『元太を見てると、「人生楽しそうだな〜」って思う。』

 

 

2人は、「楽しい」を共有し合ううえでの最高なコンビなんだろうな

 

 

牡羊座!O型!と、地味に共通点はあるし、顔がいい!お洒落!まつく!と実は沢山あるから、もっともっと うみげんを見て楽しみたいし、いつか2人のロケとか見てみたい!!

 

 

うみげんの需要がもっと増えますように!!!

 

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ソロになってからソロコンDVDを事務所に届けに行った赤西くんの話

Love-tuneのメンバーの退所が決定し、時折あげられる赤西仁くんの名前をみて、赤西くんがジャニーズ事務所を退所してからジャニーズ事務所とどのような関係性を持っているのか知らない人が多いため、それを伝えるためにも、自分の忘備録としてもこのブログを書こうと思った。

 

 

前回、松田元太くんに落ちた話のブログで触れたのだが、私はジャニーズにハマって初めて担当という概念に当てはまったのが赤西くんだ。

 

しかし、好きになってから、脱退してから、退所してからも、彼からジャニーズという肩書きが消えても私の中では「元KAT-TUN赤西仁」というフィルターを外すことが出来なかった。

 

 

 

 

赤西くんが脱退したのが 2010年。

 

 

 

1月に主演映画「BANDAGE」が公開され、その中で組まれたLANDSというバンドでアルバムを出し、主題歌もそのバンドで担当。Mステにもソロで出演し、偶然一緒の回で出演した 親友山Pとも尊いトークを繰り広げた。

 

2月に日生劇場で行われた赤西くんのソロコンサート「友&仁」。少年倶楽部でもジャニーズJr.によって披露されたHey Girlはこのライブで生まれた。このコンサート中、お偉いさんに声をかけられ、アメリカで6月にソロコンサートを二日間開催することになった。

 

しかし、その年にKAT-TUNはツアーが決まっていた。その上、Going!のシングルの発売もあったが、赤西くんはアメリカでのソロコンサートのためツアーもシングルにも参加しなかった。

 

 

このことから、メディアは空港で撮ったアメリカに向かう赤西くんの写真と共に「赤西仁 脱退か」という記事をあげた。

 

しかし、メディアに反して赤西くんはちゃんと「脱退する気はありません」と言っていた。その時、ちゃんと彼はKAT-TUN赤西仁としてアメリカでソロコンサートをする気だった。

 

 

アメリカでのソロコンサートを無事に終えたあと、7月。

 

赤西くんはKAT-TUNを脱退することを決めた。

 

 

私は、あんなに固く脱退する気はないと言っていたのにそのような空気を作る要因となったメディアを本当に心の底から恨んだ。グループの仕事よりも個人の仕事をとったから当たり前だろという意見もあるだろうが、本人にはそんな意思はなかったし、事実じゃないことを大々的に報道するメディアには耐えられなかった。

 

 

理由は「方向性の違い」によるものだと伝えられた。

 

 

 

あの日の夜、ひたすら布団の中で涙が止まらなかったこと。

赤西仁担の母が地域の集まりから帰宅して私に脱退することを知らせてくれたときの部屋の景色も10年以上経った今も鮮明に覚えている。

 

 

しかし、その直後。

その年の秋に行われたシカゴ、ロサンゼルス、ニューヨーク、サンフランシスコ、ヒュートンの五大都市をめぐる「Yellow Gold Tour3010」では1万5千人を動員する。

 

その後もジェイソン・デルーロとコラボしたTEST DRIVEや、ハリウッド映画のオーディションの合格など ソロになった後も活動は海外が中心だったものの、「拠点は日本」と言い続けてくれる彼を信じて応援し続けていた。

 

しかし、黒木メイサさんとの結婚を事務所に結婚後に報告したことによりツアーの中止、主演ドラマの降板(噂ではGTOだと言われている)など 全面的に長期間干されることとなる。

しかも、赤ちゃんができていた。

 

しかし、一番知っていてほしいのに世間に知られていないが「できちゃった婚」ではなく「できちゃってました婚」だ。

赤ちゃんができたから結婚を決めたのではなく、結婚が決まった後に赤ちゃんの存在が判明した。このことに関しては、ライブトークでも本人の口から告げられている。

 

でも、干されることが耐えられなくてその年にデビューを控えていたKis-My-Ft2を掛け持ちし始めたのもこの時だ。

 

 

 

そして、1年干されてようやく活動再開の一歩となったのが「HEY WHAT'S UP?」。

嬉しすぎて中学生であったにも関わらず全形態購入し、本当に世界観も素晴らしいPVを自分のSNSのトプ画にしたり、PVて着ていたTシャツを買ったり、街中でもそのTシャツを着る人を何人も見た。

 

しかし、活動再開した次の年の冬。

契約満了により赤西くんが「方向性の違い」によりジャニーズ事務所を退所した。

 

 

私は、ショックは受けなかった。

それまでに 留学、休止、脱退、結婚、休止と経験していたからもあるが、ソロ活動が始まった後から彼が創り出すものが アイドルではなくアーティストとしてのものであるとは感じていたし、明らかに方向性が違うのは理解できた。

 

 

 

 

その後は、自らレーベルを作り、今では社長として活動している。

事務所在籍時代にレーベルとしての関係性だったWARNER MUSIC JAPANとも、業務提携と同等の立場での関係性になった。

 

 

世界で最もハンサムな顔にも毎年ランクイン。

 

中国やアジアなどの日本とは異なる規模での音楽の世界で賞を頂いた。

 

 

東京ガールズコレクションに出演したり、ガールズアワードにも出演したり、山田孝之さんとJINTAKAというコンビを組んでCDもPVも出した。これらの活動は、WSでも普通に取り上げられ、個人的にはスッキリなど日テレでちゃんと取り上げてくれていた印象がある。

 

 

赤西くんが、ソロになってから一番変わったと思っていることは、彼がファンに直接言葉を投げかけられる場が多くできたことだ。

 

 

 

よく、グループ在籍時代は歌番組の時も無表情で他メンバーの話を聞いていて愛想が悪い不仲説と一方的に言われていたが、幼稚園の先生体験や中丸くんのバンジージャンプ、消防士体験、トゥトゥトゥサークル、仁亀手繋ごうよ事件などの黄金企画が行われていたカートゥンKAT-TUNを見てから言ってほしい。

 

 

 

彼は、ソロになってから沢山の言葉をファンにくれている。

一貫して感じるのは、「信じてついてきてほしい」というメッセージだ。

赤西仁がこの言葉を発することは意味の重みがちがう。

 

ライブのトーク中に作詞をしてくれたり、恒例のトイレタイム(MCが始まるといつもマネージャーにトークを回さして、自分はトイレに行く)や、ブラホック外しのパイオニア、自分の子供に向けて作った歌「アイナルホウエ」

 

彼がする行動全てが愛に溢れている。

 

 

わたしが、ちゃんとKAT-TUNというフィルターを赤西くんから外すことができたのが、KAT-TUNが充電期間をおえて、東京ドーム公演の発表がされた時だ。

 

赤西くんも通常通りツイッターもインスタもしていたし、彼から新しい動きがあったわけではないけど、KAT-TUNが新たに動き出すことから、KAT-TUNはもうKAT-TUNで、いまの赤西仁赤西仁であるとやっと、わたしの中で一つの存在を2つの存在として認識できるようになった。

 

 

赤西くんは、ライブトーク中、ためらいなくジャニーさんのお話やKAT-TUN、タッキー、中丸などのワードをSNSでも発する。

ソロコンサートのDVDが出た時も、赤西くん自らジャニーズ事務所に行き、ジャニーさんに渡してきたことをトーク中に伝えてくれている。

 

 

 

赤西仁くんの人柄だからとか、事務所の問題とかではなくて、赤西くんかソロ活動で自信を持って活動していて、満足するものをアーティストとして創り出しているからこのような事が可能なのではないだろうか。

 

私は彼を応援している中の一人で、彼のことを十分に知っているわけではないけど、アーティストとして素晴らしいことは胸を張って言えるし、だからこそ今でも多くのジャニーズJr.に歌われ続けているのだと思う。

 

 

 

 

よく、友人に言われる「赤西くんって今どこにいるの?」という言葉には、いや日本にいるよと答えてしまうのだが、世間的には世界に飛び立ったままの記憶で止まっている赤西仁なんだなと感じる。

 

しかし、テレビのオファーは来てるけど、スケジュールの都合でお断りしてると言っていたので、今後は世間にも目につく場所での活動も期待しつつある。

 

 

私は、ジャニーズ事務所を契約満了による対処後、世間には届きづらいかもしれないが、様々な場でアーティストとして活躍し、評価され、事務所にソロ活動の作品を自分の足で届けに行った赤西仁くんのことをもっと沢山の人に知ってほしいなと思う。

 

松田元太の沼に垂直にドボンした話

 

 

私は 亀梨和也のフェロモンに衝撃をうけて、ジャニーズの世界に踏み込み、 初の担当という概念に赤西仁が当てはまり、そこから グループ活動休止 脱退 結婚 干され 退所を経験し、同時進行で藤ヶ谷太輔と掛け持ち、デビューを果たして舞祭組と前の3人論争を経て、半年悩んで玉森裕太に担降りし、2018年Kis-My-Ft2五大ドームツアーYummy!!(以下 Yummy)で怒涛の夏を過ごしている間に松田元太を発見し、垂直に松田元太の沼に落ちた 。

こうして、気づいたら、怒涛のジャニオタライフを13年続けてきた。

 

 

 

 

全てを書き下ろすことは、のえまるといい勝負になってしまうので、『松田元太に落ちた経緯』に焦点をあてたいと思う。

 

 

 


私は、ジャニーズJr.初の担当が松田元太だ。
Yummyで、松田元太推しのお友達と入ったこと、毎週授業が一つも被っていないのに お昼を食べているお友達が 七五三掛担ということもあって、Travis Japanは 私にとって 身近なジャニーズJr.だった。

 


私が松田元太の担当になる前、ジャニーズJr.に対してはLove- tuneやMr.Kingにしか興味を示さず、少クラも録画してはあるけど気が向いた時に見る程度で、見ないで消去してしまうことが9割だった。

 

 


長すぎる冬休みが始まった2月、暇を持て余したため、溜めていた少クラを見ようとした。

でも、分からない子だらけで、気付いたら最速の速度で飛ばしていた。その中で思わず止めて見入った曲があった。

Travis Japanの Dance with Me〜Lesson1〜だ。松松に対しては、Sexy松としてみたことがある程度だったが、「女の子みたいなお顔をしてる男の子たち」という認識しかなかった。

でも、ひたすらDWMの世界観にハマって、誰が推しでもないし、顔と名前も松田元太しか一致していないまま4ヶ月程、曲が好きで毎日のようにリピしていた。

 

 

 

 

そんな僅かな興味しかなかったジャニーズJr.に対して、私が知っていたB.I.Shadow、京安、Kin Kanなにわ皇子とグループや担当が突然消滅してしまう恐ろしさをみて 絶対ハマりたくないと思っていた。

 

 

 


しかし、私がリア恋を拗らせるほど玉森担としてYummyと熱狂的な夏を送っていた中、バックにつく Travis Japanがファンサをする場面を沢山みた。というか、今までデビュー組のライブしか行かなくて、デビュー組しか目に入らなかった私がちゃんとJr.のファンサをみた。いいなあ、私も玉森くんからファンサほしいな、Jr.担だったら沢山貰えるのかななんて思っていた。

 

 

 


そして、松田元太への扉を現在の上田竜也にも劣らない威勢と形相で蹴り上げて開ける出来事が起こる。

 

 

 

 

スタンド前列で、入った東京ドームで、外周を周りながら、ファンサし放題の曲がきた。(近くに来たパニックで曲は覚えてない)
元太推しの友達が

 

 

 

「元太 きた!!!!」

 

 

と言い放った。この時、私は目の前に6人程いるJr.の中で元太を見つけることができず、双眼鏡を覗いた。

 

 


その瞬間画面いっぱいに松田元太のお顔、そして、隣でTJポーズをする友達に気づいてこちらを指差していた。
私の視界には驚いて嬉しそうに、黒髪センター分け 色白セクシー&キューティーな元太が笑顔で私(友達)を指差す、松田元太の顔が広がっている。
その瞬間を今でも覚えている。

言葉で表せられない興奮と感動と呆然とした感情の全てが最高ボルテージで混合していた。

 

 

 

それは、私がYummyに5公演入った中の2公演目で起きた出来事であり、その後の3公演はKis-My-Ft2がデビューして7年が経ったという事に対しての感動と玉森裕太へのボルテージはとどまる事はなかったため、松田元太の沼にズドンすることはなかったが、そんな中でも頭を抱えた曲があった。

 

 

 

 

玉森裕太のソロ曲 Clap-A-Hoilcsだ。

 

 

 

 

 

ツアーが始まる前から、私はこの曲がドツボにはまって狂ったように毎日聴いていたし、毎日全力で心の中でも実際にもClapしていた。
しかし、この玉森裕太のバックに松田元太がいた。7年藤ヶ谷担を経て、半年悩んでまで玉森裕太に担降りするという人生で大きな出来事を経たにも関わらず、松田元太が気になって仕方なかった。


特に、曲のラストパートでは 玉森裕太が真ん中の上昇するステージにたち、周りのアップダウンする小さなステージにJr.がいて、いつも 玉森裕太を双眼鏡で覗くと松田元太が映り込む。

 


やめてくれ!!!

玉森裕太に集中したいんだ!!!

 

 

そんな感情で、結局松田元太をメインに追っていた。

Yummy期間中、この件について悩みすぎて、友達に「玉森裕太に集中したいのに松田元太のせいで集中できない」と吐露した。

Yummy最終日では、とても良席に入れたのに、松田元太が一回も来なくて(それか恐らく玉森裕太が来ていた時にいた)、元太ロスになってしまっていたし、Kikg&Prince のファーストコン横アリ公演に入った時は、同じ公演を見ていたことが発覚し、なんで気づかなかったとひたすら帰りの電車の中で悔やんだ。

でも、それでも元太くん可愛いカッコいいという推しのような感情だった。

 

 

 

そして、約1ヶ月後、サマパラTravis Japan公演が始まった。元太推しの友達が応募したが、落選して 縁がなかったし、特別当選があるかもしれないから、一応応募した日は空けとこうねとは言ったものの、流石に公演始まってるし もうないなと思っていた。

 

 

 

しかし、またしても事件が起きた。

 

 

 

そのお友達が 特別当選で最終日23日の昼公演を当てた。
関ジュによる少年たち遠征を行っていた友達はあべのハルカスで、私は連勤明けの休日で家でSNS徘徊をしていた午前9時ごろの出来事だった。

 

 


急いで、「げんげん」と2人で4連の団扇を作り、ボルテージMAXで当日を迎え、一般入場口とは異なる場所から入場し、まるでVIPだねと高揚感に包まれながら、発券したが、初のTDCでよくわからず、二階だったけど、入れるだけでいいやというスタンスで席に向かうと、私たちの席は二階席の1列目、お立ち台目の前のステージに二階席のなかで最も近い席だった。目の前には、Jr.マンション3階バージョンもあるため、そこに来てくれれば本人達との距離はめちゃくちゃ近い。

パニックに陥り、アリーナ席にいたお友達の七五三掛担を二階まで上がらせてしまうハメだった。(ごめんね)

 

 


始まってからも、Kis-My-Ft2五代ドームツアー直後であったため、もう近すぎて、こんなにジャニーズを近くで見ていいのかと心配になった。

 

そして、硝子の少年を3階席と同じ高さのところまで登って歌った松田元太がとうとう私の方に向かって来た。
こっちに向かって来ただけで、自我を失い、「やばい!やばい!」を連呼し、友達に落ち着いてと言われていた気がする。

そして、階段を凄まじい速さで降りながら、「げんげん」という団扇を持っていた私たちに松田元太が手を振った。そして、また下に下る時にまた私たちに向かって手を振った。五秒で二回も手を振った。

 


その時、私たちの周りには松田元太担はいなくて、私信できるものだった。


そして、階段を降りた松田元太が目の前にきて
「元太どぅえーーーーーーーーーす!!!!💙💙」

とTDCに叫ぶ。

 

 


わたしはその時 元太に負けず、
「可愛いーーーーーーー!!!!!!!!」
と言い放ち、またしても自我を失った。


そして目の前で、松田元太が煽りはじめた。

 

 

元太『みなさんTravis Japanに会いたかったですか?』

 

私「いぇーーい!!!!!」

 

元太『会いたかったよね?』

 

私「いいいっぇーーーーーーーい!!!」

 

元太『Travis Japanも会いたかったよね?』

 

私・元太以外の6人

「いぇーーーーーーーーい!!!!」

 

 


混乱してTravis Japanとして客席でいぇーーーーーーーーい!!と言い放った恥ずかしさを今でも覚えている。しかし、この一連の流れで私は完全に垂直に元太沼にドボンした。そして、階段に向かってくる元太と煽るまでの映像は綺麗に私の脳内に残存している。

 

その後も3回ほどファンサを貰った気がしたが、その後の3回で覚えているのは、ステージ上におかれた二階式のステージの2階に元太がいて、機材があって見えなくて、しゃがんで見ようとした時に、その私に気づいて元太もしゃがんでこちらに手を振ってくれたことだ。びっくりしてすぐに立ちあがってしまったことが悔やまれる。

ほんとんどお手振りだったが、今までKAT-TUN Kis-My-Ft2を応援してきて東京ドームで育った私にとっては、私の存在がアイドルに人間として認識されたことが実感できただけで満足だった。

 

 

こうして、私は松田元太担の道を突っ走ることになった。

 

 


担当になる前は、

女の子みたいだから、好きな人は好きだろうけど私は違うなと藤ヶ谷担であった時に思ったのを今でも覚えている。
Jr.にQで、大好きな山田くんを前にして、
「やまらくん、ちょー好きれす!」と言ったのをみて、女の子みたい、でも私は違うなとなったのも覚えている。
サーティーワンのポスターをみて、雪だるまか食べたいな〜あっまた女の子みたいな子でてる、ファンの子はこの子が好きな味を食べるんだろうな、わたしはミントが好き となったのを覚えている。

 


というか、違うなと思ったのにこんなに覚えているってやっぱり無意識に惹かれるものがあったのではないかと思う。

 

 

そして、

 

 

亀梨和也
赤西仁
藤ヶ谷太輔
玉森裕太


を経て、松田元太に落ちたことは、ビジュアルやファンサだけでなく、『松松』の存在が最も大きい。

 

今までグループに入らなくても『松松』としてここまで戦い抜いてきたこと、同じステージに立っていた、同じCMに出ていた仲間が違う道を進んでも『松松で売れようね!』と高校生の彼等が『松松』として、常にデビューを目指して、SHOCKに実力で選ばれたことなど、あげるとキリがないが、中学生高校生という、普通なら部活、恋愛、放課後の遊びの時間も犠牲にして

 


グループに入らずに
辞めずに
諦めずに

ひたすら真面目に
本当に真剣に

 


アイドルをしてきたという経緯に心を打たれたからだ。

ジャニーズJr.一人一人に物語が存在するが、

 

 

松田元太を語ることは

松倉海斗を語るということ

 

松倉海斗を語るということは

松田元太を語るということ

 

松松を語るということは

松田元太と松倉海斗を語るということ

 

 

と感じた。
私にとって、『松松』は世界一のシンメだ。

 

 

 

そして、松松がTravis Japanに入らなければ、私の2018年の夏はこんなにも濃密になることはなかった。

 


松田元太あっての、松松あっての、現在の私の「楽しい」「幸せ」「しんどい」の感情は成り立っている。

 

 


ジャニーズJr.の担当は、各方面で辛い部分も多い。

 

 

でも、松田元太担になって、とっても楽しい。