松田元太の沼に垂直にドボンした話

 

 

私は 亀梨和也のフェロモンに衝撃をうけて、ジャニーズの世界に踏み込み、 初の担当という概念に赤西仁が当てはまり、そこから グループ活動休止 脱退 結婚 干され 退所を経験し、同時進行で藤ヶ谷太輔と掛け持ち、デビューを果たして舞祭組と前の3人論争を経て、半年悩んで玉森裕太に担降りし、2018年Kis-My-Ft2五大ドームツアーYummy!!(以下 Yummy)で怒涛の夏を過ごしている間に松田元太を発見し、垂直に松田元太の沼に落ちた 。

こうして、気づいたら、怒涛のジャニオタライフを13年続けてきた。

 

 

 

 

全てを書き下ろすことは、のえまるといい勝負になってしまうので、『松田元太に落ちた経緯』に焦点をあてたいと思う。

 

 

 


私は、ジャニーズJr.初の担当が松田元太だ。
Yummyで、松田元太推しのお友達と入ったこと、毎週授業が一つも被っていないのに お昼を食べているお友達が 七五三掛担ということもあって、Travis Japanは 私にとって 身近なジャニーズJr.だった。

 


私が松田元太の担当になる前、ジャニーズJr.に対してはLove- tuneやMr.Kingにしか興味を示さず、少クラも録画してはあるけど気が向いた時に見る程度で、見ないで消去してしまうことが9割だった。

 

 


長すぎる冬休みが始まった2月、暇を持て余したため、溜めていた少クラを見ようとした。

でも、分からない子だらけで、気付いたら最速の速度で飛ばしていた。その中で思わず止めて見入った曲があった。

Travis Japanの Dance with Me〜Lesson1〜だ。松松に対しては、Sexy松としてみたことがある程度だったが、「女の子みたいなお顔をしてる男の子たち」という認識しかなかった。

でも、ひたすらDWMの世界観にハマって、誰が推しでもないし、顔と名前も松田元太しか一致していないまま4ヶ月程、曲が好きで毎日のようにリピしていた。

 

 

 

 

そんな僅かな興味しかなかったジャニーズJr.に対して、私が知っていたB.I.Shadow、京安、Kin Kanなにわ皇子とグループや担当が突然消滅してしまう恐ろしさをみて 絶対ハマりたくないと思っていた。

 

 

 


しかし、私がリア恋を拗らせるほど玉森担としてYummyと熱狂的な夏を送っていた中、バックにつく Travis Japanがファンサをする場面を沢山みた。というか、今までデビュー組のライブしか行かなくて、デビュー組しか目に入らなかった私がちゃんとJr.のファンサをみた。いいなあ、私も玉森くんからファンサほしいな、Jr.担だったら沢山貰えるのかななんて思っていた。

 

 

 


そして、松田元太への扉を現在の上田竜也にも劣らない威勢と形相で蹴り上げて開ける出来事が起こる。

 

 

 

 

スタンド前列で、入った東京ドームで、外周を周りながら、ファンサし放題の曲がきた。(近くに来たパニックで曲は覚えてない)
元太推しの友達が

 

 

 

「元太 きた!!!!」

 

 

と言い放った。この時、私は目の前に6人程いるJr.の中で元太を見つけることができず、双眼鏡を覗いた。

 

 


その瞬間画面いっぱいに松田元太のお顔、そして、隣でTJポーズをする友達に気づいてこちらを指差していた。
私の視界には驚いて嬉しそうに、黒髪センター分け 色白セクシー&キューティーな元太が笑顔で私(友達)を指差す、松田元太の顔が広がっている。
その瞬間を今でも覚えている。

言葉で表せられない興奮と感動と呆然とした感情の全てが最高ボルテージで混合していた。

 

 

 

それは、私がYummyに5公演入った中の2公演目で起きた出来事であり、その後の3公演はKis-My-Ft2がデビューして7年が経ったという事に対しての感動と玉森裕太へのボルテージはとどまる事はなかったため、松田元太の沼にズドンすることはなかったが、そんな中でも頭を抱えた曲があった。

 

 

 

 

玉森裕太のソロ曲 Clap-A-Hoilcsだ。

 

 

 

 

 

ツアーが始まる前から、私はこの曲がドツボにはまって狂ったように毎日聴いていたし、毎日全力で心の中でも実際にもClapしていた。
しかし、この玉森裕太のバックに松田元太がいた。7年藤ヶ谷担を経て、半年悩んでまで玉森裕太に担降りするという人生で大きな出来事を経たにも関わらず、松田元太が気になって仕方なかった。


特に、曲のラストパートでは 玉森裕太が真ん中の上昇するステージにたち、周りのアップダウンする小さなステージにJr.がいて、いつも 玉森裕太を双眼鏡で覗くと松田元太が映り込む。

 


やめてくれ!!!

玉森裕太に集中したいんだ!!!

 

 

そんな感情で、結局松田元太をメインに追っていた。

Yummy期間中、この件について悩みすぎて、友達に「玉森裕太に集中したいのに松田元太のせいで集中できない」と吐露した。

Yummy最終日では、とても良席に入れたのに、松田元太が一回も来なくて(それか恐らく玉森裕太が来ていた時にいた)、元太ロスになってしまっていたし、Kikg&Prince のファーストコン横アリ公演に入った時は、同じ公演を見ていたことが発覚し、なんで気づかなかったとひたすら帰りの電車の中で悔やんだ。

でも、それでも元太くん可愛いカッコいいという推しのような感情だった。

 

 

 

そして、約1ヶ月後、サマパラTravis Japan公演が始まった。元太推しの友達が応募したが、落選して 縁がなかったし、特別当選があるかもしれないから、一応応募した日は空けとこうねとは言ったものの、流石に公演始まってるし もうないなと思っていた。

 

 

 

しかし、またしても事件が起きた。

 

 

 

そのお友達が 特別当選で最終日23日の昼公演を当てた。
関ジュによる少年たち遠征を行っていた友達はあべのハルカスで、私は連勤明けの休日で家でSNS徘徊をしていた午前9時ごろの出来事だった。

 

 


急いで、「げんげん」と2人で4連の団扇を作り、ボルテージMAXで当日を迎え、一般入場口とは異なる場所から入場し、まるでVIPだねと高揚感に包まれながら、発券したが、初のTDCでよくわからず、二階だったけど、入れるだけでいいやというスタンスで席に向かうと、私たちの席は二階席の1列目、お立ち台目の前のステージに二階席のなかで最も近い席だった。目の前には、Jr.マンション3階バージョンもあるため、そこに来てくれれば本人達との距離はめちゃくちゃ近い。

パニックに陥り、アリーナ席にいたお友達の七五三掛担を二階まで上がらせてしまうハメだった。(ごめんね)

 

 


始まってからも、Kis-My-Ft2五代ドームツアー直後であったため、もう近すぎて、こんなにジャニーズを近くで見ていいのかと心配になった。

 

そして、硝子の少年を3階席と同じ高さのところまで登って歌った松田元太がとうとう私の方に向かって来た。
こっちに向かって来ただけで、自我を失い、「やばい!やばい!」を連呼し、友達に落ち着いてと言われていた気がする。

そして、階段を凄まじい速さで降りながら、「げんげん」という団扇を持っていた私たちに松田元太が手を振った。そして、また下に下る時にまた私たちに向かって手を振った。五秒で二回も手を振った。

 


その時、私たちの周りには松田元太担はいなくて、私信できるものだった。


そして、階段を降りた松田元太が目の前にきて
「元太どぅえーーーーーーーーーす!!!!💙💙」

とTDCに叫ぶ。

 

 


わたしはその時 元太に負けず、
「可愛いーーーーーーー!!!!!!!!」
と言い放ち、またしても自我を失った。


そして目の前で、松田元太が煽りはじめた。

 

 

元太『みなさんTravis Japanに会いたかったですか?』

 

私「いぇーーい!!!!!」

 

元太『会いたかったよね?』

 

私「いいいっぇーーーーーーーい!!!」

 

元太『Travis Japanも会いたかったよね?』

 

私・元太以外の6人

「いぇーーーーーーーーい!!!!」

 

 


混乱してTravis Japanとして客席でいぇーーーーーーーーい!!と言い放った恥ずかしさを今でも覚えている。しかし、この一連の流れで私は完全に垂直に元太沼にドボンした。そして、階段に向かってくる元太と煽るまでの映像は綺麗に私の脳内に残存している。

 

その後も3回ほどファンサを貰った気がしたが、その後の3回で覚えているのは、ステージ上におかれた二階式のステージの2階に元太がいて、機材があって見えなくて、しゃがんで見ようとした時に、その私に気づいて元太もしゃがんでこちらに手を振ってくれたことだ。びっくりしてすぐに立ちあがってしまったことが悔やまれる。

ほんとんどお手振りだったが、今までKAT-TUN Kis-My-Ft2を応援してきて東京ドームで育った私にとっては、私の存在がアイドルに人間として認識されたことが実感できただけで満足だった。

 

 

こうして、私は松田元太担の道を突っ走ることになった。

 

 


担当になる前は、

女の子みたいだから、好きな人は好きだろうけど私は違うなと藤ヶ谷担であった時に思ったのを今でも覚えている。
Jr.にQで、大好きな山田くんを前にして、
「やまらくん、ちょー好きれす!」と言ったのをみて、女の子みたい、でも私は違うなとなったのも覚えている。
サーティーワンのポスターをみて、雪だるまか食べたいな〜あっまた女の子みたいな子でてる、ファンの子はこの子が好きな味を食べるんだろうな、わたしはミントが好き となったのを覚えている。

 


というか、違うなと思ったのにこんなに覚えているってやっぱり無意識に惹かれるものがあったのではないかと思う。

 

 

そして、

 

 

亀梨和也
赤西仁
藤ヶ谷太輔
玉森裕太


を経て、松田元太に落ちたことは、ビジュアルやファンサだけでなく、『松松』の存在が最も大きい。

 

今までグループに入らなくても『松松』としてここまで戦い抜いてきたこと、同じステージに立っていた、同じCMに出ていた仲間が違う道を進んでも『松松で売れようね!』と高校生の彼等が『松松』として、常にデビューを目指して、SHOCKに実力で選ばれたことなど、あげるとキリがないが、中学生高校生という、普通なら部活、恋愛、放課後の遊びの時間も犠牲にして

 


グループに入らずに
辞めずに
諦めずに

ひたすら真面目に
本当に真剣に

 


アイドルをしてきたという経緯に心を打たれたからだ。

ジャニーズJr.一人一人に物語が存在するが、

 

 

松田元太を語ることは

松倉海斗を語るということ

 

松倉海斗を語るということは

松田元太を語るということ

 

松松を語るということは

松田元太と松倉海斗を語るということ

 

 

と感じた。
私にとって、『松松』は世界一のシンメだ。

 

 

 

そして、松松がTravis Japanに入らなければ、私の2018年の夏はこんなにも濃密になることはなかった。

 


松田元太あっての、松松あっての、現在の私の「楽しい」「幸せ」「しんどい」の感情は成り立っている。

 

 


ジャニーズJr.の担当は、各方面で辛い部分も多い。

 

 

でも、松田元太担になって、とっても楽しい。